アスペルガー症候群が、2018年に世界基準から消える
最近、アスペルガー症候群という言葉を聞くことが少なくなりました。一方で、自閉スペクトラム症という名称を目にすることが多くなりました。
それは2018年にIDC-11*1(WHO)がいよいよ自閉症とアスペルガー症候群を「自閉スペクトラム症」として統一する予定だからです。
アスペルガー症候群の人も、カナータイプの自閉症の人も、グレーゾーンの人も、ひとまとめに「自閉スペクトラム症」と呼びましょう。そんな風に決めたのです。
これを糖尿病で例えるなら、糖尿病という病気が発見され、1型、2型と解明され、さらに特殊な糖尿病が次々と発見され、それぞれに個別の治療法が見つかっていく中で、やっぱり個別に診断するのは難しいので糖尿スペクトラム症と一括りにまとめましょう。深刻度に応じて治療しましょう。そんな感じです。
その昔、ハンス・アスペルガー氏は自閉症の子どもを研究する中で、自閉症とは異なる特性を持つ子どもたちを発見し、これまで考えられてきた自閉症の将来像とは異なる人生設計が可能なことを知らしめました。ですから、最近の自閉スペクトラム症という疾患名により自閉症を一括りにまとめる流れは、アスペルガー氏の考え方に逆行しているように思えます。
では、そもそも自閉症やアスペルガー症候群、そして自閉スペクトラム症はどのようにして登場したのでしょうか。今回の記事では、自閉症から自閉スペクトラム症までの歴史を振り返りながら、アスペルガー症候群が出現しては、消えていく過程に注目してみたいと思います。
年表
簡単な年表にして、まとめてみました。
自閉スペクトラム症・アスペルガー症候群の歴史から読み解く
自閉症という疾患はいつ登場し、いつ自閉スペクトラム症の考えが誕生したのでしょうか。それは19世紀末にまでさかのぼります。
統合失調症時代 −オイゲン・ブロイラー
19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したスイスの精神医学者オイゲン・ブロイラーが発表した「精神分裂病(統合失調症)」の中のいち症状として「自閉症(autismus)」がはじめて登場しました*2 。
カナー型自閉症(児童) −レオ・カナー
1943年になるとアメリカの児童精神科医レオ・カナーが「早期幼児自閉症」という論文を発表します。
彼は幼児期に発症する統合失調症に関心を持ち、子どもの「自閉」症状に着目します(現在では幼児期の統合失調症はレアケースと考えられており、彼が診ていたのは自閉症の幼児と思われます)。
論文では11人の子どもたちについて述べており、
・「他人との感情的(情緒的)接触の重篤な欠如」(コミュニケーションの障害)、
・「自分でこうと決めた事柄を同時に保とうとする激しい欲求」(常同運動)、
・「反復的なこだわり」、
・「言葉の異常」(言語発達の遅れなど)、
・「物の操作に取りつかれたような器用な動作」、
・「他領域での学習困難と対照的な高レベルの視空間スキルや機械的記憶(認知面でのアンバランス)」
で、これらの行動異常を当初は分裂病と考えていたようで、幼児期にも起こりうる分裂病として捉えていたようです。また、「生来性あるいは生後30ヶ月以内に出現」し、「小児期におけるその他の病態とは独立したもの」として捉えていました。
出典:軽度発達障害フォーラム PDD - 経緯
また、子どもの自閉症の原因は「家族、特に母親の育て方に原因がある」とし、この考え方は当時の主流となりました。しかし、1968年になると「先天性」であるとし、前説をひるがえしました。人間不信になりそうです。
逆説的ですが、カナーの研究により自閉症が一般によく知られるようになり、自閉症そのものの研究や理解を深めようとする動きが活発化します。アメリカ自閉症協会が発足したのもこの頃です。
参考:解りやすい解説のあるページ
・社会は逸脱者を必要とする(20) カナーと自閉症 グレーゾーン学とアブノーマライゼーション論
・自閉症の歴史 - 発達障害って治る?
アスペルガー型自閉症(児童) −ハンス・アスペルガー
レオ・カナーの論文発表のわずか1年後である1944年に、オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーは「小児期の自閉的精神病質」という論文を発表します。この論文で彼は4人の少年についての行動パターンに共通性があることを指摘します。
彼らの行動特徴は、
「他人への愚直で不適切な近づき方」、
「特定の事物への激しく限定した興味の持ち方」、
「文法や語彙は正しくても独り言を言うときのような一本調子の話し方」、
「相互のやりとりにならない会話」、
「運動協応の拙劣さ」、
「能力的には境界線か平均的かもしくは優秀な水準であるのに1、2の教科に限る学習困難」、
「常識が著しく欠けている」といったものでした。また、「3歳を過ぎるまであるいは就学まで両親は子どもの異常に気がつかなかった」としています。
ハンス・アスペルガーは、子どもの追跡調査も行います。
彼は多くのアスペルガー症候群の子供達が、大人になった時にその特殊な才能を生かすと確信していた。彼はフリッツ・V(Fritz V.)という子供が成人するまで追跡調査をした(症例サンプルのフルネームを出す事は人権上の問題から禁じられている)。フリッツは天文学の教授になり、もともと子供の頃から気付いていたというニュートンの業績の間違いを解決した。出典:ハンス・アスペルガー - Wikipedia
カナー型とアスペルガー型の相違点。
アスペルガーの論文はドイツ語であったため、当時世界に知られることはありませんでした。しかし、偶然とはいえ、カナーとアスペルガーは、ほぼ同時期に異なるタイプの自閉症児を発表したことは、自閉症時代の幕開けとも言えるでしょう。
カナー型の自閉症は「言語の遅れ」、「生後30ヶ月以内に出現」、「コミュニケーションの重篤な欠如」などが見られるのに対し、アスペルガー型の自閉症は「文法や語彙は正しいが一本調子」、「3歳を過ぎるまで親は子の異常に気がつかない」「コミュニケーションの不適切さ」などが相違点です。
自閉症 先天性時代 −マイケル・ラター
1972年にイギリスの精神科医マイケル・ラターは「母性剥奪再評価」を出版します。自閉症の原因は家族に原因があるとするには臨床的な証拠が足りず、先天的な脳障害であるという仮説を立てます。
そして、これがきっかけで、自閉症が先天的な脳障害であることを裏付ける研究が加速します。さらに、自閉症が統合失調症とは別の疾患であるという研究も進みます。
なお、日本では2008年まで、学校教育法で自閉症が情緒障害として扱われており、環境要因的な疾病として捉えられていました。
アスペルガー症候群と自閉症スペクトラムの提唱 −ローナ・ウィング
イギリスの精神科医ローナ・ウィングはアスペルガー症候群の名付け親です。彼女は、1981年に書いた論文の中で、アスペルガーの論文を再評価します。実に1981年までは自閉症といえばカナー型を指していました。
しかし、ウィングは自閉症と診断されていないものの、社会性、コミュニケーション、想像力に障害を持つ子どもたちの存在に気づきます。それがアスペルガーが研究対象としていた自閉症の子どもたちと特徴が近かったため、それらを「アスペルガー症候群」と呼ぶことを提唱しました。
90年代になるとアスペルガー型でもカナー型でもない、その中間にあるような特性を示す患者がいたため、自閉症を「スペクトラム(連続体)」として捉えるべきとし、「自閉症スペクトラム」と名付けました。
カナーは自閉症を子どもが発症するまれな精神病だと考えていたようですが、ウイングらの研究により、自閉症は生涯続く発達障害である、ということが明らかにされました。
- アスペルガー症候群のジレンマ
ある意味で、ローナ・ウィングからはじまったアスペルガー症候群。アスペルガーの論文を紹介したウイングの意図は、自閉症者のなかには高い知的能力を持った者もいるという事実を強調することによって、自閉症についてのステレオタイプな見方を変えることにあったとされています。(出典:アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える (こころライブラリー))
しかし、今まさに彼女が提唱した自閉症スペクトラムの概念が、アスペルガー症候群をスペクトラムに内包させた疾患名になることで、同じく彼女が提唱したアスペルガー症候群の名前が姿を消そうとしているのです。なんとも皮肉な話です。
アスペルガー症候群時代 −ICD-10、DSM-Ⅳ
1990年にWHOによって「ICD-10」という国際疾病分類が発表されます。また、1994年にはアメリカ精神医学会によって「DSM-Ⅳ」という精神障害の診断と統計マニュアルが発表されます。
画期的なのはアスペルガー症候群が自閉症と切り離されて単独の疾患として扱われていることです。
これにより、アスペルガー症候群の研究が一気に加速します(余談ですが、わたしがアスペルガー症候群の名前をはじめて耳にしたのは2002年頃です(ADHDは1990年頃)。大人になってからアスペルガー症候群だと診断される人が多いことは、アスペルガー症候群そのものの歴史が浅いことを考えると、当然のことと言えます)。
参考:解りやすい解説のあるページ
[ローナ・ウイングの“アスペルガー障害・自閉症スペクトラム”とDSM-�Wによるアスペルガー障害の診断基準]: Keyword Project+Psychology:心理学事典のブログ
自閉スペクトラム症 −ICD-11、DSM-5
米国のDSM-5ではアスペルガー症候群は廃止、自閉スペクトラム症へ。
しかし、2015年に発表されたDSM-5では、アスペルガー症候群という名称がなくなりました。DSM-5では、カナー型、アスペルガー型、その他のタイプも自閉スペクトラム症という一つの名称に統合しています。
また、アスペルガー症候群の症状としてウィングの提唱した自閉スペクトラム症特有の「三つ組みの障害」を、「二組の障害」に変更しました。
これは、「社会性の障害」と「コミュニケーションの障害」をひとまとめにして「社会的コミュニケーションおよび相互関係における持続的障害」とし、「想像力の障害」を「限定された反復する様式の行動、興味、活動」へ変更したものです。
ずいぶんな話です。アスペルガー症候群が自閉スペクトラム症にまとめられたばかりでなく、それを判断する症状もまるで変わってしまったのです。
わたしにしてみれば、ある日突然生まれつきの病気だと宣告され、10年したら、やっぱり病気ではありませんでしたと言われているようなものです。
というのも「限定された反復する様式の行動、興味、活動」の見られないアスペルガー症候群の患者は、DSM-5の定義付けからすると、もはや自閉スペクトラム症患者とは言えなくなってくるのです。
DSM-5では、自閉スペクトラム症の特徴として興味深い文言も登場。
社会的要求が(本人の)制限されたキャパシティを超えるまでは表面化しないかもしれない。と付記したこと。<中略>あるいは、のちの人生で獲得した戦略によってマスクされているかもしれない。という表現が追加された<中略>。その他、本人が困らなければ診断されないという立場をとり、サポートの必要度で、レベル1から3をつけるようになっています。
しかし、「キャパシティを超えるまでは表面化しないかもしれない」、「のちの人生でマスクされたかもしれない」という表現に驚きを隠せません。DSM-5の考え方が許されるならば、全人類は自閉スペクトラム症だが「のちの人生でマスクされたかもしれない」し、「キャパシティを超えるまでは表面化」していないだけとも言おうと思えば言えてしまうのです。
参考:解りやすい解説のあるページ
じゃじゃ丸トンネル迷路: DSM‐5における改善点(自閉症について)
DSM-5における神経発達障害(DSM-Ⅳの分類からの変更点)
2018年発表予定の国際診断基準ICD-11からもアスペルガー症候群が消える予定。
IDC-11でも、アスペルガー症候群という名称が廃止されることになっています。様々な自閉症関連の障害名が「自閉スペクトラム症」一本に統合される予定です。
- 機能的言語の低下が見られない(no impairment of functional language)(「意味伝達において機能する」とか、「会話が成り立つ」といった意味合いかと思われます)、もしくは軽度であり、知的発達の障害を伴わない。
- 機能的言語の低下が見られない、もしくは軽度であり、知的発達の障害を伴う。
- 機能的言語の低下を伴い、知的発達の障害は伴わない。
- 機能的言語の低下を伴い、かつ、知的発達の障害を伴う。
- 機能的言語の欠如を伴い、知的発達の障害を伴わない。
- 機能的言語の欠如を伴い、かつ、知的発達の障害を伴う。
- その他の指定されたもの。
- 特定できないもの。
自閉スペクトラム症は、中分類として8種類に分けられる予定です。「アスペルガー症候群」といった固有名称でカテゴライズされていたときのほうが、すっきりとしていました(ひどい訳ですみません。和訳が出たら修正します)。
なお、自閉スペクトラム症とは何か、以下のように解説されています。
- 自閉スペクトラム症は、関心や行動の柔軟性のないパターンと反復性、限定された範囲、また、社会的相互作用や社会的コミュニケーションを始めたり維持したりする能力の永続的な障害によって特徴づけられます。
障害の発症は通常は幼児期で、発育期間中に起こりますが、後に社会的要求のキャパシティの限界を超えた時まで症状が完全に現れない場合があります。
欠陥は、本人、家族、社会、教育現場、職業、または、他の重要な分野での役割。そして、社会的、教育的、または、他の背景によって異なりますが、通常すべての環境において守られるべき個々の役割の広汎的な面に機能障害を引き起こすため大変深刻です。
ICD-11 Beta Draft - Joint Linearization for Mortality and Morbidity Statistics
厚生労働省(日本)は、今のところアスペルガー症候群を継続採用。
一方で、厚生労働省は今のところ現行版のICD-10を採用しており、アスペルガー症候群を単独の疾患として扱っています。少なくとも年内はアスペルガー症候群は診断名として使われると考えられます(F845 アスペルガー〈Asperger〉症候群)。しかし、ICD-11を採用することで、アスペルガー症候群が診断名から消えるのは時間の問題でしょう。
おわりに
たいぶ前になりますが、精神分裂病が統合失調症と名前が変わり、多少の混乱がありました。しかし、各種自閉症から自閉スペクトラム症への変更は、単に名称の変更のみならず、疾患の定義付けすら変える、大きな変更です。
そこに至るまでプロセスには、医学はもちろん、政治、教育… いろいろな分野の人たちの意見が織り込まれているのでしょう。
しかし、患者はどうでしょうか。そこに患者の気持ちは織り込まれているのでしょうか。はじめの志は患者ファーストだったかもしれませんが、その過程で、また、結果として患者は混乱していないでしょうか。患者は置き去りにされていないでしょうか。
少なくとも、患者であるわたしにとっては、非常にややこしいことになっており、翻弄され、失望していると言わざるを得ません。10年後にやっぱりまたアスペルガー症候群はありましたって言われても困るわけです。
もちろん、自閉症患者の将来は決して悪い方向へは進んでいないように思います。根拠はうまく示せませんが、少なくともわたしをアスペルガー症候群だと教えてくれた医学には感謝しています。しかし同時に失望もさせられているのです。